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2009年10月11日(日) |
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6時47分 バルコニーからの南側 雲ひとつ無い気持ちが良い快晴であった。 |
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遠くの山々もはっきり見えていた |
8時からセンター地区の陸上競技場において恒例の行政区対抗運動会が開催され、それに孫を連れて参加した。
会場以外に野球場などもここにはあり、広い芝生などで孫を遊ばせながら、見物し、少し早めに戻った。
会場の様子 | |
会場の様子-2 各行政区ごとに旗があって、その下に集まっている。 |
確かに、村議が言っていたように早めに工事はするようだが、NTTの予算の関係で局舎の工事が、現段階では、それにあわせて早めるということはないとの事。インターネット接続が実現する一番遅いスケジュールでは、従来どおりの2011年春のようだ。
行政区対抗運動会の反省会、こちらがメインという雰囲気もある中で、飲み食いしながらいろんな人と談笑した。
大分知り合いも増えて、話する相手と話題には事欠かなくなった。
ここに移住してから10月の末で5年目になる。1年、2年は特定の人しか知り合いと呼べる人は無く、このような話題のとき、家内がいつも話すことは、「数年間は、ほとんど尋ねてくる人も無く、話す相手が郵便屋さんだけだった」である。
Iターンでも色々なタイプがあるようで、今まで見てきた中では、大きく分けると地元とかかわりをあまり持たないタイプとみんなと慣れ親しんで行こうタイプがあるようだ。
前者はどうでも良いのだが、後者のタイプを目指す場合は、自分の経験では地元に慣れ親しみ、ある程度の認知をしてもらうためには、地域にもよるだろうが、少なくとも3年は掛かるような気がする。5年にもなるともう半分ぐらい地元民の顔になる。
これが、60歳定年で移住すると、この期間で65歳になる。そのころから元気で地元に貢献できる期間は5年ぐらいと見ると、これではずいぶん少ないような気がしてならない。
地元に溶け込んで生活したいと考えている場合は、なるべく早く定住することが良いのではと思う。
ただ、生活に関しては、働く場所が限られていて、まだ年金にはしばらくある場合は、苦しいかもしれないが、田舎暮らしは、野菜などを作れば、生活費が都会の半分ということもあるので、何とかなる事が多い。
ついでに言っておくと、快適な田舎暮らしは体力しだいということもいえる。
ストーブ暮らしをあこがれるのであれば、木を伐採し運搬、薪割りがあり、農業では、農作業全般、いくら機械があるとはいえ、やってみれはわかるが最後は腰と腕力がものを言う世界である。
しかし、このほとんどがお金さえ払えれば委託できる世の中で、結論は、お金が無ければ知恵と体力勝負という古今東西変わらない原理原則ですな。
昨日積めなかった薪を夕方暗くなるまでかかって、積み上げた。
以前積んでいた薪の壁が内側に傾いてしまっていたが、どうしようもないので、崩れたときに対処する事にして、そのまま放置している。
薪は不定形で節があったり、曲がったりでなかなかきちんとは積みがたいが、コツとしては、出来るだけ上に積む薪は下の薪と2点では接しているように、薪の形状を選んで積む事である。
しかし、そう都合の良い形状の薪があるわけは無く、かつ、面倒くさいこともあり、適当に積むことが多い。そのため、不安定となって、時間が経過することに地震や強い風の影響でこの壁がだんだん変形し、そのうち何時かは崩壊する。人の背丈より高く積んでいるところもあり、それが崩れてくる壁側にいると、埋まってしまいかねず、怪我する可能性が高い。
たかが薪と侮らず、十分注意することが肝要だ。
草ぼうぼうの畑ではあったが、畑の状況とそこで作った雪っ娘カボチャは大丈夫とのお墨付きをいただいた。
2011年からイータテベイクジャガイモの種苗を生産する予定の畑も確認していただいて、これもOKとの事であった。
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